- sekishirom
映画『そらのレストラン』パンフレット用
私が住んでいたのは映画の舞台からは遠い、北海道の東部に位置する道東と呼ばれる地域で、冬になればもちろん雪は降り、さらにことごとく凍ってしまう場所だった。私が中学生の頃はヤンキー文化が全盛であり、不良と呼ばれる男子はいつもボンタンと呼ばれる太い学生ズボンのポケットに手を入れて歩いていたのだが、冬でもそのスタイルは変わらず、凍った路面で滑って転んでもポケットから手を出さなかった伝説の人がいたことを覚えている。そしてその人はポケットに手を入れたまま救急車で運ばれた。
私は高校卒業と同時に北海道を出た。ドラマ『北の国から』の純に触発されたのが大きく、純が東京に行くのを見て、自分の中に上京という選択肢が生まれたのだ。ドラマに影響されただけであるから特に目標があったわけではなく、毎日をだらだらと過ごした。やがて純は富良野に帰るのだが、私はそのまま居続けた。
そのため、私は上京以降の北海道を断片的にしか知らない。私の中の北海道はサンパレスや山親爺のCMが流れていて、芦別には五重塔があるところで止まっている。しかし当然時は流れていて、いつの間にかYOSAKOIソーラン祭りが始まり、グリュック王国がなくなり、母校が新しい校舎になった。
もちろん大泉洋さんがテレビなどで活躍されるようになった頃はもう北海道にいなかった。そのため大泉洋さんに関して後追いである。それなのに、誰かと北海道の話になった時には最初から知っていたように大泉洋さんの名前を出す。
「北海道出身の有名人って誰ですか?」
「大泉洋さん」
すると相手に「ああ! あの!」と言われて、なぜか自分まで誇らしくなるのだ。
北海道を離れてからの時間が長くなるにつれ、私はだんだんと東京に北海道を探すようになった。居酒屋の脇に積んである玉葱の段ボール箱に故郷の名前を見つけたり、電器店のプリンタ売り場にあるプリント見本の景色に故郷を探したり、シチューのCMに見入ったりした。国道沿いに立って故郷の景色を重ねてみることもあった。
そして『そらのレストラン』。
この映画を私は食い入るように見ることになる。雪や山や海はもちろんのこと、枯れ草の色や建物の錆びた屋根の色、道の脇にある赤と白のポールにさえ目を奪われた。記憶の中の色が次々と現れ、私は郷愁で眩暈がした。吹雪なんて大変なものだと知っているのに、懐かしくて温かさを感じるほどだった。
見終わってふと考えた。もしもあの時北海道を出なかったら、こうやって地元の人たちと一緒に何かできたのかな、と。それも悪くない。「いや、むしろそっちの方が良かった……」と考えた時、今の自分を否定してしまいそうでやめた。
私は今日も北海道を探す。薄荷の香りで立ち止まり、居酒屋で鍛高譚を飲む。そして誰かに北海道の話を始める。そしてまた大泉洋さんの名前を出して、勝手に誇らしくなるのだ。
(2018年)